浜田省吾

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浜田省吾について

「旅するソングライター」。それは彼が2015年にリリースしたオリジナルアルバムのサブタイトルであり、浜田省吾というアーティストを非常に的確に表した言葉でもある。浜田のプロデビュー第一歩は1975年、吉田拓郎のバッキングを務めたこともあるバンド、愛奴のドラマーとしてだった。翌年にはソロアーティストとして再出発したが、以後はしばらく試行錯誤の時期もあり、初めての日本武道館公演を実現させたのが1982年のこと。そこからさらに充実したキャリアを積み重ねながら、日本のトップアーティストとして君臨する。そしてその活動の中でも彼は街から街へと常に旅をしながら歌を歌い、ギターを奏で、曲を書いている。その基本姿勢は、ベテランの域に入ってからも変わっていない。浜田にとっての旅、つまり日本中の街を巡るツアー生活は、彼の活動の大きな軸となっている。例えば1992年にトレンディドラマの主題歌に起用されて大ヒットを記録した「悲しみは雪のように」や、1980年代の音楽シーンをにぎわせた「もうひとつの土曜日」(1985年)、「MONEY」(1984年)といったクオリティの高いスタジオ作品を発表する一方で、ライブという場で観客と向き合う行為も精力的に続けてきた。その多くは長きにわたるコンサートツアーで、ある時期には一本のツアーが4年にも及んだことがある。熱心なファンであれば、このアーティストにとってのライブパフォーマンスがいかに重要であるかを知っているだろう。また、旅という表現は、浜田がさまざまなサウンドや歌の表現を模索してきたという意味でも当てはまる。彼は音楽サークルである広島フォーク村の出身で、ソロで活動を始めた当初の音楽性はニューミュージックに近かった。もともと志向していたのは西海岸のサウンドで、愛奴在籍時に書いた「二人の夏」(1975年)などはザ・ビーチ・ボーイズを思わせる作風である。1970年代後半からはJACKSON BROWNEへの傾倒を強め、やがて「愛の世代の前に」(1981年)や「明日なき世代」(1980年)といったロックンロールナンバーを生み出していく。また、1980年代以降にサウンド作りへの意識が高まった後には、過去の楽曲をリアレンジしてセルフカバーすることで自身の音楽観の変化を示した。一方で、日本が世界の中で置かれた状況や、戦争、核といったテーマなど、社会問題を投影した作品も書いている。「僕と彼女と週末に」(1982年)はこの傾向が色濃く表れた楽曲の一つといえる。このように、浜田はその時々の自身の意識をそのまま作品にして示してきたアーティストである。その誠実な姿勢と音楽の高いクオリティには多くの後続アーティストたちがリスペクトを表明しており、Mr.Childrenの桜井和寿や尾崎豊といった人たちも含まれる。また、さらに下の世代であるあいみょんも親の影響で浜田の歌に親しんでいたことを公言している。浜田省吾の旅は、これからも続くだろう。その中で、彼は音楽を通じてその時その時の自分をストレートに見せてくれるはずである。

出身地
Japan
生年月日
1952年12月29日
ジャンル
ロック

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